古都ヒヴァ(Khiva)とウルゲンチ(Urgench)

アラル海現地踏査のため玄関口であるウルゲンへ来た。タシケントからウズベキスタン航空国内線で1時間半程度、機体は旧ソ連製のTu154だった(写真)。この機体、1985年にローマ−モスクワ−成田と飛んだときと同じではなかっただろうか、なんとなく親近感を覚えた。午後まだ日が高い時間に到着したので通訳が近くにある古都観光を提案した。それがヒヴァ(Khiva)という古都だった。ヒヴァの中心地、イチャンカラ(Itchan Kala)と呼ばれる内城は17世紀の町並みを残す。1990年に世界遺産に登録されている。(Jan. 1996)

街角の子供 門から伸びる直線(二重の城壁)

ヒヴァは古代ペルシャ時代からカラクム砂漠の出入り口として栄え、本格的な発展はヒワに首都が移された17世紀になってから。その後イスラムの聖都となり、町は外敵の進入を防ぐため、外壁と内壁の二重の城壁で守った。内部のイチャン・カラには20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットなど多くの遺跡が残されている。

ヒヴァの子供たち

古都ヒヴァには生活臭があった。街角から子供たちがこちらをのぞいている。やや照れている様子は素朴さを感じた。寒い気候だからなのか、スカートの下に、パンツをはいている子供が多い。

ウルゲンチ Urgench

空港とホテルははウルゲンチにある。ホテルはKhorezm Palace Hotelという立派な名前でこの地では至って快適だった。暖房も良く効いた。ただ、水道の水は塩分が混ざっていた。お湯も然り、バスタブにお湯を張ったが塩水の風呂になった。それから、トイレットペーパーがグレー色でゴワゴワしていたのでしっかり拭くと痛かった。

アラル海への飛行中止、ブリザードが来る

ウルゲンチに到着した翌日、アラル海を視察するためチャーターヘリコプターを予約していた。当日、天気も良くいざ出発となり全員搭乗しエンジンを回し始めたら、無線でブリザードがアラル海方面からヒヴァに向かっていると連絡があり急遽フライトは中止になった。30分後だというので急いでホテルへ戻ったが途中アムダリア川へ立ち寄った時にブリザードに遭遇した。雪交じりの横殴りの冷たい強風は顔が歪むほどだった。そのヘリコプターのパイロットは朝鮮系ウズベキスタン人、ニコニコして愛想のよいパイロットだった。会話ができなかったのが残念で仕方がない。皆で写真撮ったが、彼は我々の写真を撮った。(その他の写真

ヒヴァのイチャンカラ、ウズベキスタンの世界遺産

ウズベキスタンには世界遺産が4箇所登録されている。ヒヴァはウズベキスタンで最初に登録された世界遺産(1990年)である。

ヒヴァ、2009年5月

下記写真は2009年5月にタシケントに滞在中、再度訪したときのもの、かなり賑やかになった印象だ。観光案内所もあった。日本人が非常に珍しいのか、写真の注文(一緒に写真を撮る)がものすごく多かった。丁度、遠足の時期だったのかとも思う、ヌクスからバスで来ていた。

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