ウズベキスタンへの道程

出張手配

ウズベキスタン出張の経験は調査団メンバーには誰もいなかったので、この地域を専門にしている旅行社を探すことにした。幸いにも、ジェス旅行センターという四谷にある(当時)旅行社が中央アジアに詳しいということで相談にいった。現地での通訳やビザ申請、航空券・チャーターフライトの手配など大変お世話になった。

タシケントへのルートは、モスクワ経由かバンコク経由だという。ウズベキスタン航空がバンコクからタシケントまで直行で飛ばしているというのでそのルートにした。

バンコク発タシケント行き、ウズベキスタン航空便

成田からバンコクまでは乗りなれたフライトだが、その先は今回がはじめてとなる。タシケントへのフライトは7時代と早かったので前日はバンコク泊、早朝、まだ暗い時間にホテルからドンムアンへ向かった。チェックインを済ませてゲートへ向かうと日が上りはじめ、朝霧の中から搭乗する機体が姿を現した。初めて見るウズベキスタン航空機、どうやらエアバスのようだ。

定刻にバンコク・ドンムアン空港をテイクオフしたウズベキスタン航空機はヒマラヤ山脈沿いにルートを取りインド上空を飛びを続け、丁度峠を越えるように 山並みが途切れるカシミール辺りから北へ航路を変えた。しばらくするとアムダリア川を越え、窓からは大平原が広がっていた。機体は高度を下げ着陸態勢に入りしばらくして街がみたた。そこがタシケントだった。

早朝のバンコック、ドンムアン空港 一番奥がウズベク航空機 朝霧の中のA300ウズベキスタン航空機(写真の質が悪いので差し替え予定)

気さくなフライトアテンダント

離陸した直後は早朝出発だったこともあり寝入ってしまったがしばらくすると機内を散策したくなった。といっても小さな機体なのでギャレーとトイレくらいだが。外がやけに明るいのでギャレーの窓から雪景色のヒマラヤの山並みを眺めていたらフライトアテンダントが何か飲みますかと声を掛けてきた。その時、彼女たちは私たち日本へも飛んだことあるの!大統領と一緒に!と説明してくれた。カリモフ大統領が来日した際、この飛行機で日本までいったとのことだ。

コックピットよりK2峰を望む

気さくなフライトアテンダントたちと話しているうちに、K2峰がもう直ぐ見えると教えてくれた。ではと、カメラを取りに行って戻ってきたら、コックピットからK2がよく見えるからと中に入れてもらってこの写真を撮った。8611mもある世界第二位の高さだがどれだかわからない。指を指した方向へカメラを向けてシャッターを押した。(K2 wiki)

 

アラル海の玄関口ウルゲンチヘのフライト ツポレフ機、タシケント空港にて

ビザ、空港で取得

査証は空港で取得することになっていた。事前に日本から手配してあったので照会するだけだ。最初、どこがビザセクションなのかよくわからなかったが、VISAとサインが出ている白い屋台のようなビザセクションでパスポートを見せて取得した。ノートパソコンにデータが入れてあり、それを確認しながらの手続きだった。金額ははっきり覚えていないが50ドル程度だったと思う。 ここでビザを取得して入国する外国人は我々しかいないようで手続きは簡単に終わった。そして、荷物を引き取りにいった。

タシケント国際空港

はっきり言ってオンボロだった。荷物が流れてくると思っていたがこれは大きな認識違いだった。どういうことかというとベルトコンベヤーは壊れていて稼動せず、ではどうするか、自前で荷物を受け取りに行くということだった。ということは運んでくるほうもマニュアル、なんとなくのんびりしていた。当時はそんな状況だったが今はEBRDの融資でICAO基準に適合するように近代化されているはずだ。現在のフロアプラン

http://www.uzairways.com/airports.aspx

タシケントは中央アジアのハブ空港

この地域では地理的にはハブ空港の位置付けだろう。タシケントからアルマティやビシケクへのフライト、そしてイスタンブール、モスクワなど主要都市へ連絡している。当時はルフトハンザ航空やエールフランス、ブリティシュ航空のフライトもあった。ダブルランドロックカントリー(隣国も海に面していない)ゆえ航空ネットワークも重要なのだろう。

CIS流(ロシア流)エクセスチャージ

バンコクへ戻るとき空港のチェックインカウンターでロシア人の職員が荷物が規定より重いという。BKKでのチェックインでは何ら問題はなかった。こちらに来て買い増ししたわでもないのにとにかく超過しているの一点張りで先へ進めない。そういえば地図帳を買ったからな、それで少しは重くなっている。そこで、エクセスチャージはいくらかと聞くと、待ってましたとばかり”xxxドル”という返答。そんに高いのかと文句をいうと、領収書なしだったら50%引きでOKだという。どもう周りの職員もお見通しの様子、なんともまあ、団結力のある空港だこと、市場経済化し生活費を稼ぐのがこのポジションの役、実際どのように配分しているのか聞いてみたくなったが、生活費を稼ぐのに必死なのだろうと思わざるを得ない出来事だった。

国内での移動

全て事前にパッケージで予約しておいたので移動も人数にあわせて適当な交通手段を手当てしてもらった。Uzbektourism手配のラトビア製のミニバン(RAF-Latvija)でタシケント及び郊外への移動、そして、サマルカンド往復に利用した。ウルゲンチへはウズベキスタン航空国内線でタシケント-ウルゲンチを往復した。往路はツポレフ、復路はアントノフ(プロペラ機)だった。

ウズベキスタンでのホテル

ウズベキスタン国内のホテルは移動とともに全て日本の旅行会社、ジェス旅行センターを通してUzbektourismに依頼した。タシケントでは建設されたばかりの通称TATAホテル(現在のLe Grand Palce Hotel)と呼ばれていたホテル、サマルカンドでは、サマルカンドホテル(旧インツーリストホテル)、ウルゲンチはKhorezm Palace Hotelに宿泊した。ホテルに関する説明は以下にあります。

ウズベキスタンで宿泊したホテル(1996年)